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 ここではOIASに関連した様々な資料を公開しています。もっとOIASのことを知ってもらえたら嬉しいです。

<OIAS始動までの略年表>
 *岡田憲司・福場将太がOIASに辿り付くまでの歩みです。ここでは個人の活動は省き2人での活動を中心に記載しています。


1990年
 広島県呉市のO**塾にて岡田・福場が出会う。

1993年
 岡田・福場ともに広島県広島市のH**中学校(通称『アカシア』)に進学。『マイクロワールド研究会』(注1)に入部し、また同時に『マイクロバスターズ』(注2)を仲間たちと結成。また入学後間もなくの研修旅行の登山において岡田が遭難、同級生に一躍名を知らしめることとなった(注3)。

1994年
 岡田・福場ともにFMラジオ「爆裂スーパーファンタジー」(注4)に熱中。音楽に興味を持つように鳴り岡田は小室哲哉の影響でキーボードを、福場は嘉門達夫の影響でギターを開始。楽器練習と並行してオリジナル曲の制作も行なうようになる。
 また土曜日にはJR広島駅内のつぼ焼きカレーの店『キートンチェーン 串亀』に通うのが恒例となる(注5)。

1995年
 アカシア文化祭にて同級生・名越達彦のバックバンドとして岡田・福場が初ステージ。またイベント制作会社『快感山プロダクション』を福場が代表となって立ち上げる。同社制作の映画「刑事カイカン 殺意の結末」では福場がカイカン役、岡田が呉市民役で出演した。

1996年
 岡田・福場ともに広島県広島市のH**高等学校(同じく通称『アカシア』)に進学。2人組ユニット『AREA51』を結成しアカシア文化祭にてオリジナル曲を含むライブを行なう。

1997年
 リードギターにジョニー田中、ドラムにホコサンを迎え4人組バンド『Recipe』としてアカシア文化祭にてオリジナル曲を含むライブを行なう。

1998年
 昨年の修学旅行をテーマにした楽曲「SEASON TRAVEL」をアカシア音楽発表会で仲間と披露。また岡田・福場・ジョニー田中の3人組ユニット『磯神』を結成しアカシア文化祭にてついに全曲オリジナルのライブを行なう。

1999年
 岡田・福場ともに上京。以後それぞれ別の団体に所属しエンターテイメント活動を行なう。福場は音楽・執筆活動を邁進、岡田は音楽活動の傍らマネーシステム論などの研究も開始しこれがその後のOIASに繋がっていくこととなる。

2006年
 快感山プロダクション企画で「名越だなんて2006」(注6)をレコーディングすることとなり、岡田・福場が久し振りに共演。その後福場は東京を去り旅に出る。

2011年
 快感山プロダクション企画で福場のアルバム「弾き語りスペクトラム」制作着手。廣島に戻っていた岡田がプロデューサーを担当。

2012年
 岡田がOIASの企画を具体化し福場に提案。

2013年
 OIAS始動。



注1:
 アメリカの数学者であるシーモア・パパートが考案したロゴ言語を用いてコンピュータープログラミングを行なうことを主な活動とする部。ここで岡田・福場はオリジナルのゲームや音楽を制作しその後の創作活動の原点となった。入部当時は同好会であったがその後部員数の増加により正式な班へと昇格。1996年からはインターネットも導入され世間よりも一足早く部員たちはメールやチャット、ホームページ制作などを経験することとなった。また世界中の学校と交流する「めでぃあきっず」に参加し地元文化を紹介した活動が注目され、テレビや雑誌の取材を受けるにも至っている。

注2:
 マイクロワールド研究会が室内での活動が主体だったのに対し、マイクロバスターズは屋外での冒険的な活動を主としている。広島市にある黄金算に黄金の発掘に向かったり、比婆郡にヒバゴン探索に向かったりした。

注3:
 福場は岡田がなかなか下山しないことに気付いてはいたが遭難までは予想できなかった。岡田は無事に保護されたが彼の遭難は事故であったのか売名行為であったのかは今も謎のままである。

注4:
 嘉門達夫がメインパーソナリティを勤める番組。彼が当時所属していた代官山プロダクションの他アーティストや楽曲が多く紹介されたため、岡田・福場の音楽は少なからず『代プロ系』の影響を受けている(特に2人が衝撃を受けたのは代プロ社長であった新田一郎がかつてやっていたバンド『スペクトラム』)。福場は『快感な男』のペンネームで一時この番組の常連ハガキ職人となった。

注5:
 特に2人が虜になったのはこの店のランクCの劇辛カレーである。当初は一口食べるだけで寝込んでいたが店に通ううちに水を飲まなくても余裕で食べられるようになった。一時は同級生が押しかけ勝手に劇辛カレー大会を行なうほどブームになったが、2人がアカシアを去る頃駅の改装のためこの店も姿を消した。

注6:
 もともとは1998年のアカシア音楽発表会のために2人の友人である岸本武人が作った曲。この2006年版は懐かしいメンバーを集め広島と東京の2箇所でレコーディングを行なった。

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